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『レンズを換える平和問題』 (「キリスト新聞」8/5日号 掲載記事より) [平和をつくる者]

  ■ 6/27-30 まで、ハワード・ゼア先生のセミナー(東京聖書学院)に参加しました。
 その後、「キリスト新聞社」より「平和問題」についての執筆の依頼がありましたので、下段の記事のようにまとめました。  (「キリスト新聞」 8月5日号に掲載)
・今回の特集は、平和問題に関する「聖書的現実主義」も取り上げるとのことでした。
(キリスト新聞社から、WEBへの転載の承認を受けています。 2006年 7/31付)

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『レンズを換える平和問題』
— 平和の理解と実践におけるパラダイム転換 —
 
 21世紀に入り、国際社会における「平和」の実現や地域社会の安全、対人関係の修復や和解、教会内の衝突や葛藤からの解決などの領域で、平和の理解と実践におけるパラダイム転換、すなわち、新しい「平和つくりの道(Peacemaking)」の具体的な方向性とその手段が求められています。
 
「修復的司法(Restorative Justice)」による「平和つくりの道」
 初めて “Victim Offender Reconciliation Program” の言葉、すなわち「被害者・加害者の和解プログラム(VORP)」を知ったのは、十数年前のことです。若手の宣教師の一人が、フレズノ・パシフィック大学(北米メノナイト・ブレザレン協議会が運営)には、このコースがあり、フレズノ神学校の在学中に学びをしたと話してくれたのがきっかけでした。
 1974年にオンタリオ州キチナーで22件の器物損壊事件を起こした二人の少年を被害者と会わせ、被害者が経験した恐怖や怒り、赦しの言葉に直面させて、謝罪と被害弁済の協議を進めたことに端を発した「被害者と加害者の和解運動」は、この運動を押し進めたメノナイト派の教会やコミュニティーにとどまらず、現在では世界中で数千の働きとなって実を結んでいます。
 日本では、2001年に千葉で「被害者加害者対話の会運営センター」が弁護士たちを中心に設立され、2004年には関西で「被害者加害者対話支援センター」の活動が始まりました。アメリカにおける最初の「被害者・加害者の和解プログラム」設立に尽力された、ハワード・ゼア博士(東部メノナイト神学校教授)の著書『修復的司法とは何か(原著:”CHANGING LENSES”)』は、法曹界の学者を中心とする「RJ研究会」の関係者によって2003年6月に発行され、「修復的司法」のバイブルとなっています。

 この度、6月27日から30日まで「東京ミッション研究所」とホーリネスの東京聖書学院の共催で、ハワード・ゼア先生による「修復的司法」に関するセミナーが開催され、7月1日の「日本宣教学会」の他、大学の法学部/社会学部の関連での講演や、日本弁護士連合会主催による講演会が7月6日まで行われました。今回のゼア先生の来日は、日本の法制度や裁判制度に対しては、応法的司法から修復的司法への転換を促し、被害者とその家族の癒しや加害者の真実な矯正、社会復帰などの領域での新しい取り組みの可能性を与えるものでした。
 同様に、日本のキリスト教会には、「平和の理解と実践」にパラダイム転換を迫るものでもありました。そして、今、私たちキリスト者は、「平和」の理解や取り組みにおいて、地域社会からも変革(トランスフォーメーション)を求められています。その意味するところは、「イエス・キリストの十字架の救いとは?」という、キリスト者の信仰の本質そのものに関わることなのです。
 
 
<右:ハワード・ゼア博士>
 
「回復の神学」による「平和つくりの道」
 「平和=シャローム」とは、幸福の状態、正しい関係、善の状態を表す範囲の広い語でもあり、「健全で、いっしょで、健やかな世界を表す」と言われます。ここに、シャロームの実現のために、「回復の神学」を提唱します。

 関係者が車座(円形)になって相集い、「合議」によってなされる問題解決へのアプローチが、私たち日本人の民族的アイデンティティーとして今も残されています。確かに過去の世界大戦の結末を招いた権威主義や権限を持つ者の独善と偏狭な主義主張は、現代の行政や企業経営だけでなく、教会運営においてさえ根深く存在していることも事実でしょう。けれども、組織や共同体の存亡の危機に直面した時、不義不正によって引き起こされた混乱や衝突を直視し、いかにして本来あるべき関係に戻していくかを当事者全員で話し合い、解決と和解の道を見いだして行こうとします。これこそが「平和つくりの道」そのものと言えましょう。この時、ハワード・ゼア先生の提示された修復的司法(RJ)における今ひとつの方法、関係者の合議と対話による解決へのアプローチとしての「サークル・プロセス」が始まっているのです。

 さらに、かつて救済論において「再復説(レカピトゥラティオ)」を唱えた教会教父のイレナエウスの信仰的遺産の再評価がなされることによって、アンセルムス以降の「満足説」に代表される「救済論」のパラダイム転換が始まります。「応報の正義」の束縛から解き放たれ、福音宣教の今後の方向性や教会内部の「癒し」にも新たな視点が与えられるでしょう。
 神との関係の回復、人との関係の回復、被造物全体の回復。本来のあるべき状態の回復、また、相互の関係の癒しと回復。神学生時代に聞いた、有田優牧師の言葉が思いだされます。
  「キリスト教の本質とは、真の人間像の回復である。」

 今こそ、私たち日本人キリスト者の手による、様々な領域における多様な形での『平和つくりの道』の取り組みとともに、『回復の神学』の速やかな構築が待たれます。
 キリスト者の「平和つくりの道」、すなわち、”Peacemaking” は、剣(武器)を帯びる領域から全く剣を持たない領域に至るまでの、主の召しとビジョンと油注ぎの中で与えられた、お互いの「平和への多様な取り組み」を理解し、尊重し、とりなしをする中に連携がなされ、「平和=シャローム」の実現に向けて大きなうねりとなって行くのです。
 

日本メノナイト・ブレザレン教団 
能勢川キリスト教会  牧師 井草晋一 
(「キリスト新聞」2006年8月5日号)
・転載する場合は、メールなどで連絡いただければ幸いです。

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