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「御巣鷹山の日航機墜落事故」から 37年 [エッセー]

「御巣鷹山の日航機墜落事故」から 37年

1985年8月12日のあの出来事が、昨日のように思い出されます。
大阪バイブルチャーチの第二会堂で副牧師をしていた、3年目に起きた出来事でした。
 
『御巣鷹の夏』の短編小説を角川書店の「カクヨム」にアップしました。
ご一読いただければ、感謝です。
 
https://kakuyomu.jp/works/16817139557445912021
 
(『御巣鷹の夏』:神戸新聞社 「パールエッセー」応募作品 1990年)

 
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『御巣鷹の夏』 [エッセー]

『御巣鷹の夏』
「御巣鷹山の日航機墜落事故」から、37年。

1985年8月12日のあの出来事が、昨日のように思い出されます。
大阪バイブルチャーチの第二会堂で副牧師をしていた、3年目に起きた出来事でした。

『御巣鷹の夏』の短編小説を角川書店の「カクヨム」にアップしました。
ご一読いただければ、感謝です。
(神戸新聞社 「パールエッセー」応募作品 1990年)


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武州(武蔵国)の井草郷 [エッセー]

武州(武蔵国)の井草郷
<環八通りと早稲田通りの交差点(清水三丁目)の近く>

「井草」の地名-1_IMG_4130.jpg
 
2月28日は、次男(井草聖二:ギタリスト)の引っ越し(川西市--->川崎市)を終えて、郷里の高崎市(群馬県)に帰省。チョッとハードな三日間の春の休暇でした。
途中、500〜600年前(室町時代の終わり頃?)に一族(先祖)が住んでいた地域を通ったので、写真を撮って来ました。
(今は、この地域には「井草」の名字の人は、ほとんどいないようです。10年ほど前に派出所のおまわりさんに聞いた話。)

「井草」の地名-2_IMG_4128.JPG

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郷里の風景_IMG_4133.JPG
 
三枚目の写真は、小学校の1年生のとき(50年ほど前)に住んでいた郷里の村の場所。
正面のあたりに小川があり、学校帰りによく、ザリガニ取りをしていました。
この辺りは、雰囲気は変わっていないですが、周辺の広大な田んぼだったところは、縦横に新しい道路ができ、たくさんの住宅地や大型店舗ができています。
郷里なのに、帰省するたびに道に迷ってしまい、家内に笑われ(呆れられ)ている<私>であります。


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カザフスタンの国際会議に参加して [エッセー]

この度、9月14日から26日まで、カザフスタン共和国でのアルマティ市
で開催された、メノナイトの二つの国際会議と大会に参加しました。
以下はその旅行記(エッセー)です。

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■<カザフスタン(アルマティ市)の町並み>


旧ソ連の時代が去り、古い大きなビルもある景観のなかで、アルマティ市では新しいビルの建設やビルの改築、新装が進められており、新しい国づくりに取り組む人々や街の姿を観察しました。
街を走る車は、ほぼ半分が日本製。トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、スズキ、スバル、など。新車も多数見受けられ、それも高級乗用車やトヨタのレクサスやランドクルーザー、他社の類似の車種も数多く走っていました。ベンツ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲン。韓国の自動車メーカーの車も見受けられます。

アルマティの生活レベルは、ヨーロッパとほとんど変わらないでしょう、とのヨーロッパ出身者のコメント。
なお、10年前に首都が北部のアスタナに移ったが、景観や生活はアルマティの方が良いとの現地の人々の感想です。
9月21日(木)の市内観光では国際的に有名なスケートリンク(メデウ・スケートリンク)の見学に行く途上で高級住宅街がありました。

アルマティは、ここ5年ほど前から急激な経済成長の中にあります。けれども、市内から空港に向かう道では市の中心から離れるに従い、ロシアの典型的な古い家(屋根がコンクリートの波板、あるいは、スレート拭き)もあり、大都市と周辺の街の格差を感じます。
9月25日、カザフスタンからの帰途、ウズベキスタン航空の便で隣に座ったドイツ人のビジネスマンに聞くと、ガザフスタンでは20%程度が富裕層であり、あとは、ひと月当たり、400〜500ドルで生活している人たちも多いとのこと。
豊富な石油やウランといった天然資源に恵まれたカザフスタン共和国の急激な都市部の経済成長と地方との格差の是正や、広大な国土を持つ故の社会基盤の充実は今後の課題なのでしょう。

また、9月23日(土)の午後には、数名の者で政府の建物(大統領官邸)の近くにある「カザフスタン国立中央博物館」を見学しました。有史以前の化石やマンモス像の骨格(化石)、珪化木(化石に変化した木)や産出する鉱物やメノー、水晶、などの貴石類の展示とともに、各種の石器類、日本の縄文・弥生時代を思わせる土器、高貴な死者を葬った石室やその上に築かれた円墳の模型の展示もありました。日本の古墳時代の石室や円墳の構造に類似していたのには興味をそそりました。
また、古代の兵士の装具のうちで、長剣は二種類ありました。ヨーロッパで用いられた両刃の長剣の他に、片刃の日本刀とそっくりの長剣は、楕円形のつばの形も日本刀とよく似ていました。
東方教会の十字架と文字が刻まれている、卵形の扁平の一抱えもある石がいくつか展示されており、中央アジアに至る古代のキリスト教の歴史の一端をかいま見る事が出来ました。
モスクの模型や回教に関する展示も数多くありました。

博物館の一室には、第二次世界大戦の時のドイツ軍との戦闘の様子が詳しく展示されています。
また、博物館の大きな別室には、1991年の独立の経緯とともに、各民族のコーナーがあり、120〜130ほどの民族と文化、宗教の多様性の相互理解を深め、カザフスタン共和国としての一体感を深めようとする国の方針を強く感じました。

*在カザフスタン日本大使館(アルマティ案内)
http://www.kz.emb-japan.go.jp/jp/kazakhstan_kzinfo_almaty_j.htm

*愛・地球博<中央アジア館>
http://www.greatsilkroad.org/main.html

*日本カザフスタン共和国大使館
http://www.embkazjp.org/
http://www.embkazjp.org/consular_services_jp/consulateservicejp.htm

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■<カザフスタン(アルマティ市)の人々>

9月15日からの ICOMB(メノナイト・ブレザレン国際委員会)の世界会議(GMA)や、9月17日からの全メノナイトの世界会議(GMF)の分科会(9/19)で、能勢川キリスト教会のクラフトや手芸の同好会(ビーの会)のメンバーが50セット作製したカード入れ(厚手の和紙の折り紙で作った名刺入れ)と栞(ブックマーク)のセットを出席者にプレゼントしたところ、とても喜ばれました。
話しかけて来た一人のご夫人は小学生の娘さんが二人とのことで、2セットを進呈。彼女は韓国に旅行に行ったおりに、「日本人ですか?」と問われたとの事。中央アジアの人々の中には、カザフ人やその他の民族の人々の中にも、日本人とそっくりの顔立ちの人々が大勢います。
もしかすると「モンゴロイド」である日本人のルーツは、中央アジアにあるのかも。

アルマティ市内はタクシーが少ないためか、多くの人が道路際で片手を少し開いて「乗せてください」との合図をしています。
大学生や勤め帰りの20才前後の女性たちも、結構一人で合図を送っています。
タクシーが来た場合も、また、乗用車が止まった場合も、早速、目的地を告げて値段の交渉です。倍ぐらいの値段を言って来る場合もあります。17日の日曜日の午後から始まる会議の専用バスに乗り遅れた私は、現地のメンバーの助けで300テンゲで交渉成立した乗用車に乗って会場へ。初めて一人でいわゆる「白タク」に乗った訳です。少しドキドキしながらも降りるときには「スパシーバ」と運転していた男性に感謝を込めて500テンゲを渡し、握手して降りました。運転していた男性と横の女性に和紙のカード入れと栞のセットをプレゼントしたら、とても喜んでいたので、「300テンゲで良かったかな?」と思いつつ、シルクロード・センターの会場に到着したのでした。

23日の土曜日、「カザフスタン国立中央博物館」の見学を終えて、スイスからの代表と二人でタクシーを拾い、グリーン・バザール(中央バザール)へ。スリにも注意と言われていたこともあり、腰の財布を気にしつつ建物の中に入ると、一坪くらいの店が軒を連ね、食料品や様々な生活用品が並べられています。大勢の人でごった返す中を楽器を扱っている店へ。半坪ほどの店の中に、ギターや民族楽器の「ドンブラ」がありました。4700テンゲ。値段の交渉をしたのですが、20才ぐらいの若いお兄ちゃん、なかなか値下げしてくれません。結局、4200テンゲでドンブラを購入。もう少し時間があれば、さらに安く買えたかもしれません。

ホテルに表示してあった為替のレートが1ドルが125テンゲほどだったので、1ドルが116円の日本円との関係で金額の感覚は大まかに掴んでいたつもりでした。市内の店では、ドンブラの値段を聞くと、7500テンゲと言っていたので、まあまあの買い物かな。
これで、17才の次男に頼まれていた買い物が終了。

24日には、ホテル・カザフスタンの前から、私自身として初めて値段(お礼)の交渉した乗用車に乗り、国際会議(GMF)と国際大会が開かれた「シルクロード・センター」の教会(グレイス・チャーチ)の礼拝に、二人のアンゴラの代表を伴ってなんとか無事に到着。

<次回は、以下の内容です。>
■「カザフスタン(アルマティ市)の教会」

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『わらびの砂糖』 [エッセー]

『わらびの砂糖』

<お歳暮の時期に・・・夫婦の会話>
■夕食後、夫は新聞を見ながら妻に聞きました。
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「お父さんとこ、お歳暮なんにしたん?」

「わらびの砂糖。」

「わらびって糖分あったかな?」

「ちがう、わらびの里っていう名菓なの。」

「どんな名菓?」

「佃煮のメーカー。」

「・・・・・」

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(2004年12月)
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■わらびの里
http://www.warabinosato.co.jp/


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肥後守は男のロマンよ [エッセー]

■<神戸新聞「日曜ひろば」『肥後守』(粉川大義記者)の記事を読んでいた時>
 
■記事:「逸品一品 兵庫の館蔵品」「打ち刃物」 —「肥後守」に無銘の栄光—
 
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『肥後守は男のロマンよ!』
 
肥後の守_IMG_6282.jpg

「恵一(小1)、聖ニ(3才)、パパは小学生の時、この肥後守でよく遊んだんだ。
 もう少ししたら、このナイフの使い方教えてあげるよ。」

「なによ。ひごのかみって。」

「パパー。野生なんか教えんといて。うちの子たちは、シティーボーイ(都会的な男の子)にするんやから!!」

「肥後守は男のロマンよ。女なんかにゃ分かるめー。」

「バカじゃない。 みんな笑ったって。」

「・・・・・・。」 

------> パパ、心の中で、 「あーあ、昭和も遠くなりにけり。」


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*このエッセーを書いた当時(1992年)、加古川市に住んでいました。
 小学生の息子たちと自分のための大型の肥後守を買って準備していたのです
が・・・・・。

■ 「神戸新聞Web News 風の記憶 ふるさとの音を訪ねて」

 『6.肥後守(三木市)』

http://www.kobe-np.co.jp/rensai/wind/06.html




パパ-----群馬県高崎市の生まれ。「かかあ殿下と空っ風」の土地柄。
    小1から中1まで長野県松本市で過ごす。(鎌田小学校卒業)
    肥後守を持って、松本城の後ろの「城山」で友だちと遊んでいました。
    中1から大阪府の豊中市へ。
    以後、40年関西在住ですので、一応、関東なまりの大阪弁?
   (そんなもん、ない?!)を話しています。

ママ-----大阪市の生まれ。小学校3年まで福島区の野田で育つ。 もちろん大阪弁。

*我妻曰く、吉本のお笑いと「ぼけとつっこみ」の感性は、大阪で生まれた人はみんな持っているとのこと。
 うーん、ちょとついていけないなー。私にはその感性、つかめませ〜ん。

(写真は、2013年撮影)

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ホームページ: 『ペーター・プーのニュースレター』
URL: http://homepage.mac.com/s_igusa/Menu7.html


<ブログ著述:2006-02-27>
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