武州(武蔵国)の井草郷 [エッセー]
武州(武蔵国)の井草郷
<環八通りと早稲田通りの交差点(清水三丁目)の近く>
2月28日は、次男(井草聖二:ギタリスト)の引っ越し(川西市--->川崎市)を終えて、郷里の高崎市(群馬県)に帰省。チョッとハードな三日間の春の休暇でした。
途中、500〜600年前(室町時代の終わり頃?)に一族(先祖)が住んでいた地域を通ったので、写真を撮って来ました。
(今は、この地域には「井草」の名字の人は、ほとんどいないようです。10年ほど前に派出所のおまわりさんに聞いた話。)
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三枚目の写真は、小学校の1年生のとき(50年ほど前)に住んでいた郷里の村の場所。
正面のあたりに小川があり、学校帰りによく、ザリガニ取りをしていました。
この辺りは、雰囲気は変わっていないですが、周辺の広大な田んぼだったところは、縦横に新しい道路ができ、たくさんの住宅地や大型店舗ができています。
郷里なのに、帰省するたびに道に迷ってしまい、家内に笑われ(呆れられ)ている<私>であります。
<環八通りと早稲田通りの交差点(清水三丁目)の近く>
2月28日は、次男(井草聖二:ギタリスト)の引っ越し(川西市--->川崎市)を終えて、郷里の高崎市(群馬県)に帰省。チョッとハードな三日間の春の休暇でした。
途中、500〜600年前(室町時代の終わり頃?)に一族(先祖)が住んでいた地域を通ったので、写真を撮って来ました。
(今は、この地域には「井草」の名字の人は、ほとんどいないようです。10年ほど前に派出所のおまわりさんに聞いた話。)
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三枚目の写真は、小学校の1年生のとき(50年ほど前)に住んでいた郷里の村の場所。
正面のあたりに小川があり、学校帰りによく、ザリガニ取りをしていました。
この辺りは、雰囲気は変わっていないですが、周辺の広大な田んぼだったところは、縦横に新しい道路ができ、たくさんの住宅地や大型店舗ができています。
郷里なのに、帰省するたびに道に迷ってしまい、家内に笑われ(呆れられ)ている<私>であります。
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