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「ビジュアル短歌」のススメ [短歌]

『ビジュアル短歌のススメ』 

井草晋一 (号:風讃。「ちぬの海短歌会」 同人)

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 短歌は詠んだ者の思いや感動、心情といったものを、その短歌を読んだ人々が自らの人生や体験を重ね合わせて「共感する」、「共有する」ものです。
日本人として、同じ日本の気候、風土、生活習慣のなかで詠まれた歌は共感しやすことは言うまでもありません。
 けれども、海外の旅行などで見た風景や感動、人々との出会いで感じたことが短歌に詠まれている場合、その短歌を「読んだ人」にとっては、全く見たことも聞いたこともない風景や人々の生活が「詠まれた短歌」の背景にあり、共通の土台がないために、「共感」すること、あるいは、「共感度」が少なくなってきます。

 その意味では、今日の「デジカメ」や「携帯カメラ」で簡単に写真が撮れ、パソコンで写真に文字が入れられるという時代は、短歌の世界にひとつの新しい可能性を開かせるものです。

写真の下に短歌を表示することもできますが、写真そのものの中に短歌を表示することによって、「短歌を詠んだ者」も「短歌を読む者」も、その背景を少しでも共有する中で、両者が感動する領域や可能性が増して来ます。

 これまでは、短歌の世界では、「短い旅行記の文章+短歌」という形で共有されて来た海外旅行で歌われた短歌が多かったと思いますが、今後、「写真+短歌」の形式や「デジカメの写真+パソコン処理で写真に重ね合わされた短歌」という形式も大いに用いられることでしょう。

「写真」は、「感動」があっても「心情」は表現しつくせませんし、最低限の背景を共有し得ない短歌は、「心情」が現れても「感動」が深まらないように感じます。

古来、山水画や南画、水墨画に漢詩、あるいは俳句、短歌といった組み合わがありました。そのような意味ですでに「ビジュアル短歌」があったわけです。
同様に、現代では、デジカメ写真を用いたホームページ上の「ビジュアル短歌」や、写真専用用紙にプリントアウトされた「ビジュアル短歌」があってもよいでしょう。

 私が最初に作った「ビジュアル短歌」は、カザフスタンから持ち帰った「ドンブラ」を弾く次男の写真に短歌を乗せたものです。 
(2006年12月28日)
<So-net フォト>
http://pht.so-net.ne.jp/photo/peterpooh/images/481297

 以上、「ビジュアル短歌のススメ」を記しましたが、短歌の最終ゴールは、やはり、「31文字」のみの中に、大きく広がる感動と心情の世界が詠われ表現されているか否かにあると言えましょう。

 民族、歴史、文化や、時間空間、自然の背景を超えて存在する人類共通の「情感」の世界がどのように詠われ、その短歌を読む人々に共感と感動が呼び起こしうるのか。
世界のグローバル化の時代にあって、日本の一行詩「短歌」が「五文節詩」として、海を越える時代が来ているのかもしれません。    
 (2009年2月8日 記)
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