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高崎市に帰省中です。 [ホッとニュース]

只今、高崎市に帰省中です。

11月3日の夜から、郷里の高崎に。
 
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実家に来るとけっこう作業があります。
今回も、生垣や庭の木の剪定、エアコン2台の部品を外してのフィルター洗浄、2台の自転車のパンク修理、そして、ベランダに作っていた父親の作業スペースの整理(愛用工具類の遺品整理?)などなど。
二年前の大雪でしばらくの間アクリルの屋根が壊れていたこともあり、父が大切にしていたノート4冊が雨で傷んでいたので、虫干ししました。
88歳の母は、機械関係のことはわからないので、そのままにしていたとのこと。
 
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六年前に亡くなった父(井草一郎)は、ESSOを定年退職したあとは、尼崎市の◯◯◯金属工業株式会社で仕事をしていました。
戦後、エッソの前身「スタンダード バキューム オイルカンパニー」に入る前は、町工場を経営していて、親戚が初めて購入した撹拌式の洗濯機を借りて分解し、それを参考に自分で開発して製造し、「PRINCE」の商品名で販売していました。
 
定年後の尼崎の町工場での仕事は、「水を得た魚!」だったようです。
様々な会社の担当者との仕事上の打ち合わせや提案、売り込みのポイントが、たくさんの名所の横に記載されていました。
中東での石油の採掘が終わる頃を見据えて、本田技研工業の担当者に腐蝕防止をのための特殊金属を用いた、アルコールエンジン開発の提案にも行っていたようです。
けっこう大手の会社メーカーにも赴き、仕事を取って来ていたとのことを、以前、社員の一人の方が教えてくださいました。
4冊目のノートの最後には、中小の金属加工会社の経営者への提言(利益の確保、単なる町工場で終わらずにメーカーと対等に仕事をしていくための方策、など)が、数枚の便箋にまとめられていました。
この提言は、どのような業種にも適用できそうな感じです。
 
もしかすると、社会学的な側面からキリスト教会にもあてはまる??!
父の愛用のマイクロメーターとノギスがあったので、記念として持ち帰ります。

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<写真1> 水沢山を望む(1,914M:榛名山系の東端)
<写真2> 父のノートとマイクロメーター
<写真3> 実家の前の道の夕日

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